La marque de Jacques
ジャックブランド
“アシェットデセール”の
美しさに心奪われて
Fasciné par la beauté de
“l’assiette dessert"
26歳の若き大塚は、フランス料理のシェフを目指していた。
一流のフレンチシェフを目指し、様々な店で修行に励んでいた大塚は、
とある店で自分の運命を左右する“一皿”に出会う。
“アシェットデセール”
器の上に、芸術作品のように美しく盛られたデザート。
今まで見たことのない、あまりに美しい一皿に、大塚は一瞬にして心を奪われた。
「パティシエ」という言葉はまだ、一般的ではない。
そんな時代に、シェフ、ギャルソン、パティシエがひとつのチームとなって作っていく、本場のフレンチ。
そのラストを飾るにふさわしい、美しく、彩りあざやかな“アシェットデセール”に魅了された大塚は、
この日から、パティシエの道へと足を踏み出した。
アルザスの
“ジャック”へ
Vers le
“Jacques"
de l’Alsace
パティシェを目指して福岡や東京で日々腕を磨く中で、「本場フランスで修行したい」という思いが日に日に強くなっていった。
1987年、インターネットが普及するのはまだまだ先の時代。
大塚は、お菓子の業界紙でフランスの店を探して、エアメールで自分が働きたいと思う約20軒の菓子店に手紙を送った。しかし、名もない日本人の一菓子職人を相手にしてくれる保障は何もない、大きな賭けだった。
焦りが募る日々。
数ヵ月経って2軒の店から返事が届いた。
そのうちの1軒がフランス・アルザス地方にある“ジャック”であった。
日本人パティシェが、まだあまり足を踏み入れていない未知の世界、フランス・アルザス。
大塚の周りは“ジャック”を知る者はいなかった。
自分にとって“聖地”のように感じたアルザス、この店で修行することを決意した。
“魔女の宅急便”に出てくる
ような屋根裏部屋での生活
Comme dans le grenier de
“Kiki la petite sorcière"
フランスの中で最も東に位置し、ドイツ・スイスと国境を接するアルザス地方。
“花の都”パリや、大西洋に接するブルターニュ、南仏プロヴァンスなどとはまた違う、独特の文化が発達した地域だ。
パリから電車で4時間半をかけて、アルザスに到着した。
いざジャックの店のショーウインドウの前に立つと、目に飛び込んでくるのは美しいケーキ、洗練された焼き菓子の数々。
ドイツ・ゲルマン気質の影響を受けたアルザスの純朴な食文化が、
フランスの洗練されたお菓子に昇華されている。
大塚はこの店で修行できる喜びを感じた。
ジャックでの修行の日々が始まった。
お金はないが、貧しくはない生活。
近くのマルシェで買い物をし、自らアルザスの食材を調理する。
毎日フランス料理に触れることができる喜びが、そこにはあった。
アルザスは緑が多く、果物、ナッツ、ジビエなどに恵まれたライン川の上流、ヴォージュ山脈のふもとにある。フランスとドイツの文化が混ざり合う場所は、フランス領であるとはいえ食文化も独特だ。さらに”美食の街”として知られており、学ぶことは多い。
冬は雪深く、厳しい気候でもある。
そのため、夏にとれた豊富なフレッシュフルーツを加工し、ドライフルーツやコンフィチュール(ジャム)にする。
そうすると厳しい冬の間にも、貴重なビタミン源として重用されることも学んだ。
そうやって大切に加工された果物やナッツを、お菓子にも惜しみなく、ふんだんに使う。
さらにラム酒などをアクセントに、優雅に仕上げるーーそれこそがアルザス菓子の特徴であった。
「いい材料でしか、いいお菓子は生まれない」
ジャックのオーナーシェフ、ジェラール・バンヌワルト氏のお菓子作りに対する信念は徹底していた。
チョコレートやコンフィチュール(ジャム)なども、素材から厳選して店で手作りする。
ジャックでの学びはとても大きく、今なお大塚のパティシエとしてのベースになっている。
言葉という大きな壁がある中で「計量の間違いを2回すると、もうここには居られない」と自らにハードルを課した。
特にお菓子はほんのわずかな分量ですべてが決まる。
懸命に修行を続けた。
「働きたい」という強い気持ちがあれば、国や言葉が違っても、その思いは通じる。
1年の予定だったが、結局2年7ヶ月の修行をさせてもらった。
福岡の“ジャック”
“Jacques"
à Fukuoka
アルザスの『ジャック』での修行を終えた大塚は、さらにパリの有名店『ジャン・ミエ』で2ヶ月ほど研修した後に帰国。
すぐに「仙台で店の立ち上げを手伝って欲しい」という縁があり、同時に2店舗を立ち上げた。さらに地元・福岡に戻ると、そこでも腕を請われて、新たなブランドの立ち上げを指揮。
その時に立ち上げた「ブルーフォンセ」は、今でも福岡三越の人気店のひとつだ。
そして迎えた、1995年。大塚はいよいよ、自分の店を出す決意をした。
アルザスのバンヌワルト氏に独立の報告をしたところ、店名に『Jacques(ジャック)』の名を使うと良いという、思ってもみなかった驚きのエアメールが届いた。アルザスで学んだ宝のような時間を、有難く店の名前に込めた。
『パティスリー・ジャック』。
大塚が学んできた“日本にはない香り”に満ちた空間が、そこにはあった。
世界のトップパティシエが集まる
“ルレ・デセール”からの招待
L’invitation du
“Relais Desserts"
rassemblant les meilleurs
pâtissiers du monde.
ルレ・デセールという協会がある。
1981年にフランスで創設され、パティスリー業界で名を馳せるパティシエとショコラティエで構成される、菓子職人のための国際的協会である。
かの有名なジャンポール・エヴァンやピエール・エルメなども所属している。
そこから連絡が届いたのは、2005年のことだった。
「メンバー2人からの推薦があった。加入の試験を受けてみないか?」
当時、大塚にとっては雲の上の世界。自分が入会出来るなど思ってもみなかった。
若い時から憧れた一流のパティシエ、ショコラティエ、約80名を前にして自分が菓子を作る作業工程から味に至るまでの審査。この事を想像しただけで極度のプレッシャーが日々のしかかる。
大塚は悩んだ末、この試験を受ける決意をした。技術的な準備にかかり、ルセット(レシピ)作りから試作を繰り返し、1時間内での製作のシミュレーションを何度も繰り返す日々。そして半年後渡仏し、試験を受けた。
1時間という短時間の中でお菓子を作り、合否が決まるというシビアな内容だったが、結果は合格。晴れて加入することが出来、メンバー全員が祝福してくれた。
80人から90人で構成される協会に所属するのは、ほとんどがヨーロッパ人だ。日本人メンバーは4人(2005年当時)のみという中、東京以外でのメンバーは大塚ただ一人だった。
ジャックは、名実ともに福岡を代表するパティスリーとなった。
このお菓子に、
“出会いのすべて”を込めて
Dans chaque gâteau,
“toutes les rencontres"
菓子職人としてこの仕事に就いて、気が付けばもう40年近くの月日が過ぎようとしている。
『ジャック』という名前をもらった時から、お菓子を通してフランスの食文化を日本の人々へ伝える架け橋になると決めた。大塚が学んだ繊細で美しいフランス菓子は、日本人の感性に合い、そして人々に豊かな時間をもたらすものだからだ。それを教えてくれた師たちへの感謝の気持ちを込め、日々邁進している。
La marque de Jacques
ジャックブランド
若き日に心奪われた、“アシェットデセール”。
自然豊かで奥深い食文化が生んだ、アルザスの伝統菓子。
上品で洗練された、フランス菓子。
ジャックというブランドを通して、パティシエ大塚が表現するお菓子の数々。ぜひお召し上がりください。
Bonne dégustation !